豊橋ハートセンター
豊橋ハートセンターは約10年前、当時国立病院豊橋東病院循環器科で活躍して
おられた鈴木孝彦先生(写真左)が、同病院心臓血管外科で名を 上げておられた大川育秀先生(写真右)および製薬会社にて勤務しておられた白川洋之さんと協力し、心臓病治療のための患者中心かつ本物の専門施設をという共通の夢をもって開設された専門病院である。当初は19床のクリニックサイズでスタートし、次第に発展拡大し、現在60余床の、この国を代表する心臓専門病院へと成長して行った。
著者(米田正始)は京都大学病院に勤務していたころから時折この豊橋ハートセンター(写真左)へお邪魔し、何度かライブ手術などをやらせて頂いたが、そのころから忙しくても仕事のしやすい病院、医師としての喜びを満たせる病院(つまり患者さんに必要な治療を必要な時にだれに遠慮することもなく実施できるという喜び)という印象を持っていた。
2007年春からこの豊橋ハートセンターで非常勤ながらスーパーバイザーとして仕事をさせて
頂くようになり、京大病院を去る2007年9月から半常勤の形でより積極的に関与させて戴いた。個々のスタッフの熟練度の高さ、優秀さ、プロ意識、仕事量、喜びと明るさは、すべて、国立の施設にいた人間にとっては眼からうろこの連続であった。自分も含めて国立の施設の職員は給料どろぼうではないかとさえ思ったほどであった。さらに私の関係で京都や大阪からはるばる豊橋まで来院して下さる患者さんの多くが、遠いところまで来た甲斐があった、ここは素晴らしい病院ですと言って下さり(「患者さんの声」のページをご参照下さい)、ますますこれまでの怠惰を反省する始末であった。
もちろん厳しい医療費抑制政策の中で、民間施設が公的資金の援助なしで立派に運営し、24時間365日体制で患者さんを守ることの経営上の大変さも学ぶことができた。
その豊橋ハートセンターがさらなる発展を期して大都会名古屋と元来のサポーターの多い岐阜に進出するという話をお聞きし、願ってもないことと、参画させて戴くことになったのが2008年であった。著者は縁あって名古屋ハートセンター(写真左)担当となったが、現在も豊橋との交流を密にもち、開設時のスピリットを忘れないように心がけると同時に、その壁を破り、新しい時代の都会の高度専門診療を加味できればと思うこの頃である。
この6月に豊橋ハートセンター10周年の記念式典が豊橋にて行われた。親戚の ような立場で参加して、懐かしい仲間との旧交を温めることができた。個人的に最も感動したのは豊橋ハートセンター開設時からのサムライ職員全員が壇上に立たれた時だった。最後にものを言うのは人材の質、とくに技(わざ)と心(こころ)であり、こうしたサムライがいることが豊橋ハートセンターを群を抜く存在にしたということを実感した。医療崩壊を起こしている施設とは反対の状況がそこにあった。またそうした人材を育てられた鈴木先生や大川先生らの力量と御苦労に感嘆した。
ハートセンターグループのルーツである豊橋ハートセンターが今後も充実発展することを楽しみにするものである。
2009年9月記
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